T-4は「中等練習機」で、戦闘機ではありません。武器も積めません。, 現在の世界の主力戦闘機は単座(一人乗り)ですが、T-4は練習機という目的から、技術習得・継承のために複座(2人乗り)になっています。, ブルーインパルスが所属する松島基地は、2011年3月11日の「東日本大震災」の津波により、航空機28機を水没・喪失するという大きな被害を受けています。, しかしブルーインパルスは、翌日の九州新幹線の全線開業を祝う式典参加のため、飛行機・人員ともに松島基地を離れており、幸いにも被害を受けませんでした。, 松島基地が津波被害を受けたころの状況や、その後の復興の記録は、「3.11東日本大震災 自衛隊災害派遣 絆 〜キズナノキオク〜」というドキュメンタリーにまとめられています。, 特に松島基地においては、自らも被災者でありながら救援活動を続けられた隊員の皆様、そしてそれを支えられた家族の方々に頭が下がる思いです。, いろいろな歴史があるブルーインパルス。 首都圏では、埼玉県入間市の入間航空祭でブルーインパルスを見ることができますが、都内から近いために参加者が非常に多いことで知られています。, 「どうせなら、空いている場所で見たい、写真を撮りたい」という方もいらっしゃると思います。 また同年8月25日に開催された松島基地航空祭においては午前中に1番機・5番機・6番機の3機で飛行し、午後には1番機・2番機・3番機の3機で飛行した。, その後、ブルーインパルス所属機の部品交換が進み、9月5日には6機での飛行訓練を再開した。その直後に行われた三沢基地航空祭では訓練の進捗状況により、1番機・4番機・5番機・6番機の4機で展示飛行を行ったが、9月16日の小松基地航空祭から6機での展示飛行が再開されている。, 2019年(令和元年)8月29日には、使用を禁止していたカラースモークの実機試験を実施した。これは2020年(令和2年)の東京五輪関連行事での展示飛行に向けたものであり、まず8月29~31日に地上試験を行い、9月3、4日には空中での試験を実施した。この試験では、スモークの視認性や、空中で拡散するよう改良した染料の地上への影響を確認した。, 2020年3月20日、松島基地で「聖火到着式」が開催された際、ブルーインパルスが「五輪」を描き、改良型のカラースモークが初使用された。, 2020年3月20日、松島基地での東京オリンピック・パラリンピック聖火到着式典においてブルーインパルス史上初となる2チーム・12機体制の飛行[注釈 3]が行われた。A(アルファ)編隊が「五輪」を描き、B(ブラボー)編隊がリーダーズ・ベネフィットを披露した。, 2020年に入って新型コロナウイルスのパンデミックが発生したことで、患者が爆発的に増え、医療従事者に過大な負担が生じるようになった。世界各地で医療従事者に向けた展示飛行が行われたことから、ブルーインパルスは医療従事者への敬意と感謝を示すため、2020年5月29日の12時40分から13時に掛けて東京都心の病院の上空を巡回する展示飛行を実施した[164]。人の集合を避けるため、飛行ルートは飛行開始の3時間前に公表された。, 前述の通り、ブルーインパルスは当初「飛行隊の中で曲技飛行(アクロバット飛行)を担当する1セクション」という扱いで発足している。このことを踏まえ、本節では第11飛行隊として設立された1995年(平成7年)12月以降の体制について記述する。, 第11飛行隊の内部組織は、飛行隊長を頂点とし、その下に飛行班・整備小隊・総括班という3つの部署が設置されている[165]が、これは他の航空自衛隊の飛行隊と同様である[165]。, 第11飛行隊特有の特徴として、パイロットと整備員については任期が3年と定められている[166]ことが挙げられる。これは、実戦部隊を離れたがらないパイロットが多い事に配慮し[133]、3年間という条件をつけることによって第11飛行隊への選出を行ないやすくするためである[133]。また、飛行班・整備小隊においては階級が「空士」の隊員は存在しない[7][注釈 4]。これは、空士は2等空士・1等空士・空士長とも任用期間が3年(2任期目以降は2年)に限られており[167]、第11飛行隊の3年という限られた任期の中では、他の部隊で行われているような新人養成や空曹への昇進試験などに時間を割く余裕がないための配慮[7]である。, 通常の制服のほかに『展示服』と呼ばれる、展示飛行の際に着用するための専用の制服や飛行服が用意されている[注釈 5]ことや、整備員とパイロットの連帯感が強い[168]ことも特徴である。相互の理解を深めるため、訓練時にパイロットが他のポジションの後席に同乗する機会を設けている[169]。, 飛行班長以下、1機あたり1〜3人のパイロットが在籍する[165]。パイロットは「ドルフィン・ライダー」と呼ばれており[170]、パイロットスーツの左腕に装着するパッチにも "DOLPHIN RIDER" と記されている[171]。1番機については飛行隊長と飛行班長の両方が担当する期間もある[133]が、2番機から6番機までは交代要員としてのパイロットは存在しない[133]。第11飛行隊は展示飛行の任務しか行なわない[8]ため、日常のミッションはアクロバット飛行やウォークダウン・ウォークバックの訓練となる[8]。, 限られた期間内で訓練と展示飛行をこなす必要があるため、途中での担当ポジションの変更は一切なく[133]、また第11飛行隊に選出されたパイロット自身が担当ポジションを希望することもできない[133]。左胸のネームタグもポジションナンバー入りとなっている[171]。, パイロットの選出にあたっては、操縦技量が優れていること[173]のほか、高度なチームワークが要求されるために協調性があることが求められている[173]。また、広報活動が主な任務であり、航空自衛隊の代表として多くの観衆と接するため、社交性も要求される[173]。なお、手当ては普通のパイロットと同様である[133]。ブルーインパルスへの異動は「本人の希望による異動」と「命令による異動」があり、2003年(平成15年)時点ではどちらかといえば後者の方が多かった[133]が、2010年(平成22年)時点では本人が希望することが多くなっている[174]。, それまでのTAC部隊では全くやったことのない操縦技術を習得せねばならず[133]、最初はどのパイロットも戸惑いがあるという[133]。また、TAC部隊で戦闘機を自在に操っていたパイロットにとっても、訓練内容は高度で厳しい内容であるといわれる[175]。一方、訓練の中で編隊飛行の操縦技量等が著しく向上し、3年の任期を終了してTAC部隊に戻ると、空中集合の早さに同僚のパイロットから驚かれたり[176]、「どうしてこんなに編隊が上手いの?」と質問されたりするという[177]。これについて第11飛行隊の初代飛行隊長は「高度な操縦技術を3年間みっちり行なえば、一般の部隊に戻った後にフィードバックできることも多いはず」と述べている[176]。, なお、展示飛行は日中にしか行われないが、技量維持のため1ヶ月に数回ほど夜間飛行訓練を行なっている[104]。, 基本的に過去の在籍者の再在籍は行われないが、事故による要員不足時に教官要員としての再在籍があったほか、それ以外でも、要員の都合上異動から数年後に担当ポジションを変えて再在籍した例がわずかながらある。また、2020年3月20日に行われた東京オリンピック・パラリンピック聖火到着式典において、史上初の2チーム・12機2チーム体制とする為に、OBがTAC部隊から一時的に異動していた。, ※T-4ブルーインパルスの歴代隊長は部隊を去る際に、飛行隊に込めた思いの言葉を残していく。, 地上クルーのうち整備を担当するのが整備小隊で、整備小隊長以下20人前後が在籍[178]。整備員は「ドルフィンキーパー」と呼ばれ[179]、整備服の左腕に装着するパッチにも "DOLPHIN KEEPER" と記される[171]。1機につき3名の機付整備員が配置され[180]、そのうち1名が機付長として受け持つ機体についての作業を任されている[180]。他の部隊と異なり、機体を磨く作業が重要視されている[181]のが業務内容の特徴である。航空祭などではエンジンスタートや地上誘導などを担当する[178]だけではなく、展示飛行の際にはウォークダウン・ウオークバックを披露する[181]。観客に背中を見せる機会が多いため、展示服の背中にはブルーインパルスのロゴも入っている[171]。, パイロットと同様、任期は3年間を原則としており[178]、通常は1月に着任して実務訓練を受ける[181]。また所属隊員の個人名が紹介されている[179]。, 総括班長は2006年(平成18年)4月までは5番機のパイロットが兼務していた[182]が、2006年4月以降は展示飛行を行なわないパイロットが選任されている[178]。パイロットであるため、ネームタグは飛行班と同じデザインで、7番機のポジションナンバーが入っている[183]。, 総括班は、飛行スーツやヘルメット、酸素マスクなどの維持管理を行う「救命装備員」(LIFE SP)[178][注釈 6]、飛行計画(フライトプラン)を管理する「飛行管理員」(DISP)[178][注釈 7]、物品調達を行う「補給員」(SUPPLY)[178]、その他の庶務を行う「総務員」(ADMIST)[178][注釈 8]という業務内容で、航空祭の時にもパイロットや整備員と同行して展示飛行の準備を行う[178]ため、展示服が用意されている[184]。, 格納庫(ハンガー)は1998年(平成10年)7月に建設された[185]。緩やかなアーチ形状の屋根で[186]、正面には "Home of The Blue Impulse" という文字が入れられており[186]、ハンガー内部の床面中央には直径10mほどの大きさで[187]ブルーインパルスのエンブレムが描かれている[186]。, 飛行隊舎は格納庫に隣接しており[188]、1階には資料展示室がある[189]ほか、屋上には訓練を見学するための観客席が設けられている[189]。, なお、同隊舎と格納庫は2011年(平成23年)3月の東日本大震災による津波で水没し、損傷したが、駐機場と格納庫を約3,6メートルかさ上げし、格納庫には防水扉を設置。滑走路との間に長さ約200メートル、幅約23メートルの誘導路も新設した。, 業務用車両として、現地クルーの移動支援用にトヨタ・ランドクルーザーとホンダ・アクティを導入していた[190]が、2010年(平成22年)に日産・エクストレイルを導入した[191]後、ランドクルーザーは使用されていない[192]。いずれもブルーインパルスの機体と同じイメージの塗装が施されている[192]。この他、ブルーインパルス専用のトーイングカーと電源車を保有する[192]。なお、給油車については飛行群ではなく整備補給群の所属である[192]が、そのうち1台は「スモークオイル専用の給油車」で、松島基地にしか存在しない[193]。, 初代機体F-86Fは、航空自衛隊創設に当たり、アメリカから供与された当時の主力戦闘機である[22]。使用機体は全機改修にて取得されており、ブルーインパルス向けとして新造された機体は存在しない。原則として浜松基地に配備されていた機体の中から以下の条件がそろった機体を選び出し改修していた。, 主な改修点は、後部胴体にある燃料タンクのスモークオイル(発煙油)タンクへの転用[198]、スモーク発生装置のエンジンノズル後方への設置で、一部の計器の配置変更や置き換えも行われている[注釈 10]。スモークオイルのタンク容量は105ガロンで、約50分の連続発煙が可能であった[198]。, しかし、この改造に伴い、本来は飛行に使用する燃料の搭載量が少なくなった。ドロップタンク(増槽)を装備しない場合のF-86F許容G(重力加速度)は7.0Gであるのに対し[197]、ドロップタンクを装備した場合はドロップタンク内の燃料が空でも許容Gは5.5G[197]、燃料満載時には許容Gは5.0Gで[197]、演目によっては許容Gに余裕がなくなる。このため、当初はドロップタンクを外した「クリーン形態」で展示飛行や訓練を行なっていた[29]。しかし、展示飛行の課目の増加に伴って燃料タンクの容量不足が問題化[185]、1966年(昭和41年)頃からは安全上の見地からドロップタンクを常時装着することとなった[197]。, 機体の塗装は、当初は通常塗装(無塗装)機が使用されていた[29]が、第1航空団の部内で募集されたデザイン案の中から、1961年(昭和36年)に金属の地肌に青とピンクとライトブルーの斜めストライプを配した専用デザインが施された[199][注釈 11]。なお、編隊長機のみ青の部分を金色としていた[199][注釈 11]。ピンクやライトブルーの部分は褪色が激しく、白色に近い状態となったため、後から追加改修された機体ではこの部分の色を濃くして対応した[200]。その後、1963年(昭和38年)頃にチーム内で塗装案を検討し[39]、東宝映画『今日もわれ大空にあり』への撮影協力をきっかけに、東宝デザイナーが協力することになった[37]。1963年10月には92-7872号機が試験塗装を施され[201]、これを手直しして1963年11月に正式に新塗装が決定した[39][注釈 1]。, 所属期間は機体によってまちまちで、1年程度しか使用されなかった機体もあれば、解散までのほぼ全期間を通じて使用された機体もある。使用された計34機の内、1981年(昭和56年)の最終飛行時まで在籍していたのは9機、ブルーインパルス所属のまま事故で失われたのは4機[202]。後者の内1機はブルーインパルスとは関係のない学生訓練中に発生した空中接触事故で失われている[202]。この34機の中には米軍からの供与機も含まれており、それらの機体は用途廃止後に米軍に返還されている[202]。一部は無人標的機QF-86Fに改造され、空中標的として使用された[203]。最後まで使用された機体の1機である02-7960号機は用途廃止後もしばらく動態保存状態に置かれ、1985年(昭和60年)11月16日の浜松基地航空祭にてタキシングを披露したが、半年後ブレーキ系統に不具合が生じたため地上展示専用となった[204]。, 2代目機体T-2は、国産初の超音速高等練習機である[205]。パイロットからはF-4EJをブルーインパルス用として推す意見もあった[69]が、大型過ぎることや燃料消費量が大きいことから実現に至っていない[69]。最終的には国産機であることや、練習機であるため操縦性や安定性に優れているという理由でT-2導入が決定した[69]。, しかし、T-2は翼面荷重が大きい超音速機であり、旋回半径も大きかった[69]。エンジン推力が比較的小さいこともあり[73]、高機動を行うと速度低下が著しかった[73]。このため、課目間のつなぎのための旋回(プロシージャーターン)がF-86F時代に比べて大きくなり、演技に間延びした感が出てしまうことは避けられなかった[73]。この間延び対策のために、F-86F時代の標準だった5機編隊にソロを一機加えた6機編隊に変更された[73]。, ブルーインパルスで運用された機体は、後期型6機がブルーインパルス用として新造された[69]ほか、前期型から2機がブルーインパルス仕様に改修されている[69]。1983年(昭和58年)と1986年(昭和61年)に補充のために後期型から1機ずつがブルーインパルス仕様に改修された[206]。, ブルーインパルス仕様の改修点は、アクロバット飛行用に胴体内の第7燃料タンクをスモークオイル用に転用したスモーク発生装置[207]が主なものである[注釈 12]。離陸時にスモークオイルを噴出しないでアフターバーナーを使用するとスモーク発生装置のノズルが溶解してしまう[208]ため、離陸推力とアフターバーナーの併用時にはスモークオイルを流すようにしていた[208][注釈 13]。これによってスモークオイルが高温の排気によって燃焼し、長い炎を曳くことになった[208]が、偶然の産物であった[88]ものの観客には強い印象を与えることになった[73]。これは「トーチング」と呼ばれ、世界のどのアクロバット飛行チームにもないT-2ブルーインパルスだけの特徴となった[88]。, 機体の塗装は、T-2では一般公募が行われた結果、2,055点の応募の中から、女子高生4人のグループによるデザインが最優秀賞となり[29]、このデザインに機首部分と主翼下面を中心とした大幅な修正が行われた上で実機に塗装された[29]。

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